子どもを一人二人育てただけでは育児は語れないということを語りたい

2022年に待望の第一子を出産しました。

今のところかなり育てやすい子だとは思うのですが、それでも機嫌の悪い日や体調の悪い日は対応に困ることが多々あります。

同一の子どもでも日によって、あるいは時間帯によってこんなに子育てイージーモードかハードモードか変わるのに、子どもを一人二人育てただけではなにも語れなくないか?と思うわけです。

○○をして子育て成功しました!という人はメソッド云々というより、ただただ運が良かっただけなのかなと思います。

また、困ったときに人様の体験談などを聞いて、自分だけじゃないんだと共感できるときもあれば、小さな差異を見つけてやっぱり自分とは違うんだ…とより孤独感や分離感を強めてしまうということもあるかと思います。

ただ、書くことは確実に頭の整理につながりますので、今回はわたしの出産にまつわる覚書、おもにわたしの感情について記したいと思います。

 

①異様に心細い

もともとしっかりしている性格ではないですが、依存心が高いほうでもないと自負しておりました。

でも出産してからというもののとにかく心細い。

出産してから5日間は入院でしたが、コロナ禍で誰とも面会できず、なんとも言えない拠り所のなさがありました。

同じく育児初心者の夫がいてもたいして役には立ったとは思いませんが、一緒にどうしよ〜!って言い合いたかった。

もちろん当時の市中の感染状況を鑑みると面会禁止は致し方なかったですが。

退院してしばらく経ってからも、一人だと不安で常に誰かいてほしい…と非常に退行した気持ちでした。

母は強しとよく言いますが、わたしは母になって弱くなった気がします。

 

②二人目がほしくならない

妊娠前から自分の体力のなさや教育費のこと、年齢など様々なことを考えて子どもは一人と決めていました。

それでも出産したら気持ちが変わるかもしれないなと思っていましたが、一向に二人目がほしいという気持ちになりません。

ところで今の日本って、結婚しているのに子どもいなかったら「なんで?」と思われて、一人でも「なんで?」と思われて、三人でも「なんで?」って思われて、ナチュナルに二人っ子政策が成功していると思います。

建売物件も当たり前のように子ども部屋2つですね。

わたしも死ぬ直前になったらもう一人子ども産んでおけば良かった〜ってなるのかな。

 

③「育児に正解はない」が救いの言葉ではない

①と似ていますが、出産してから不安なことだらけで、1から100までマニュアルがあってワークブックをなぞるようにその通りにやればいいだけならいいのにと何回も思いました。

当たり前ですがそういうわけにもいかず…。

「ママの感覚を大事に」とか「臨機応変に」って、頭カチコチ人間には一番難しいです。

あと、育児に正解はないですが、1歳未満にはちみつは与えちゃ駄目とか、いわゆる「失敗」はある気がします。

 

④「お母さん」って誰

出産するまでは子どもには「お母さん」って呼ばれたいし、そのためには一人称は「お母さん」にしようと思っていました。

ところがいざ出産して、「お母さんだよ〜」と言うとどうしても実母の顔がちらつく。

例えば人から「○○ちゃんはお母さんのことが大好きだね〜」と言われると、「なんで今祖母の話…あ、わたしのことか」といった具合に自分のことと認識するまでに時間がかかります。

そして結局「ママ」呼びです。 

 

⑤謎の標準語

普段はバリバリ方言で話しているわたしですが、子どもと接するときは「○○なのかな〜?」とか「○○だね〜」といったように謎に標準語になります。

多分自分のなかでまだママが演技っぽいから、映画やドラマの登場人物のような喋り方になってしまうのかなと自己分析しています。

 

育児というか、子どもにまつわるおすすめの本もいくつかあるのでそれもまたいずれ紹介したいと思います。